カガクシャ絵日記

大学の研究室で働くってこんな感じ?

日本人と英語4:英語ができないとアマチュア無線ができないと本気で錯覚したこと。

さて前にも書いたけどふにゃふにゃした子供だったからなんだか自分が特殊だということを証明したい気持ちがあったんだと思う。小学校の頃から自分の部屋でなんか機械をごちゃごちゃやっていろんな人と話せたりとかそのためには国家試験に受かって免許がなければいけないアマチュア無線に憧れた。

実際親に頼んで小学校5年生ぐらいの時に通信教育の教材を買ってもらった。無線機をいじってる人の写真とかあって楽しそうに見ていたけど、教材は読んでも全然わからなかった。

最初に出てきたオームの法則の式のいきなり意味がわからなかった。親もわからなかったし年上の従兄もわからなかった。アマチュア無線どころの話ではなかった。まるっきりそういう環境に住んでいなかった。

 

それが高校一年が終わる頃母親がどっかで講習会に行けば免許が貰えるということを聞いてきた。それで資料を郵便で取り寄せて巣鴨の無線連盟のビルに春休み2週間ぐらい通った。講習は無線法規と無線工学だった。両方ともちょっと覚えればいいような試験が最後にあって念願の電話級の免許をもらった。

 

後で英語の勉強のキッカケになったのはこの講習会だった。昼休みに無線法規の先生がどうして無線のプロの通信士になったかという話をみんなにしてくれた。ちょっと長いけど面白いから書こう。

 

その先生は実は太平洋戦争の時は16歳かなんかで少年兵だった。それであの有名な戦艦武蔵の通信兵だった。送られてきたモールス信号を紙に書いたり、言われたことを送信したり。ところが武蔵は沈没した。やっと生き残って帰ってきて戦後に仕事をするんでプロの通信士の試験を受けた。もちろん通信の方は抜群だったけど英語の試験があったのに度肝を抜かれたらしい。先生は英語なんて勉強したことがなかったらしい。そこで神田の英語学校に3年通ったら英語ができるようになって見事通信士の試験に受かった。

 

当時は何にも知らない僕でも神田の英語学校と津田英語学校というのは英会話学校として東京では有名なことを知っていたからへーっと思って話を聞いた。あの時は武蔵の話の方がびっくりしてこんなすごい人がいるのかと思った。

 

まあ英語の話だから英語のことに集中するけど、アマチュア無線の機械はお小遣いを全部使って短波帯が使える機械を買った。2週間後の台風で倒れてしまって一度も送信に使わなかった大きなアンテナも設置した。

 

全部つないで初めてトランシーバーのスイッチを入れて21MHz帯を聞いてみた。

 

そこでびっくり!本当にびっくりした。

 

そこでは日本人がみんな英語でしゃべってる!

 

まあすぐ、日本語も聞こえてきたけど最初に聞こえたのが英語だったのがインパクトが強すぎた。

当時は自分の周りに英語を話す日本人なんか知り合いにいないしTVで時々海外からの芸能人の日本人通訳みたいな人がマイクの陰でゴソゴソと英語で話してるのしか見たことがなかった。

なんでもまに受ける性格だったので悩んだ。アマチュア無線をやるには英語ができなきゃいけないんだ。かなりそう思った、本気でおもった。だってみんなペラペラじゃないかって。

これは実は大問題だった。だって学校の英語が全然わからない状態だったから。確かに中2までの英語はそれなりに自信がったけどペラペラしゃべってる人は学校の英語なんかお茶の子さいさいなんだろうと思った。

この時点でいきなり頭の中ですでに英語ができるまではアマチュア無線はお預けだ、英語がペラペラじゃなきゃアマチュア無線をやる資格はないんだと勝手に思いこみ始めた。実はこういう風に思い込むくせは昔から強すぎて今でもちょっと普通の生活してても思い込みが強すぎて損ばっかりしてる。

これが起きたのが高校2年生の10月だったと思う。

その時すぐに思い出したのがあの先生が言った言葉だった。「神田の英語学校に3年通ったら英語がペラペラになった。」

それですぐ親に頼んだ、神田の英語学校に行きたい。3年通えばペラペラになれるそうだ。親もまあ行きたきゃ行ってみればということでお金を出してくれると言った。

それで神田に電話したらもう秋の学期が始まってるから今からは入れませんと言われた。かなりショックだった。でも津田があるから津田にも電話してみた。

津田の方は秋学期は始まってるけど2週目だからまだいいですと言われて千駄ヶ谷にある津田英語学校に週3回2時間ずつ夜英会話を勉強しに行くことになった。

 

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