カガクシャ絵日記

SURVIVAL AIN'T MY LIFESTYLE. (死なないように生きてます)

トラビスさんこの歳でサルサダンスカンパニーに入れてもらった。

ニューヨーク州に住んでた時、10年以上も前にサルサダンスを始めた。もともとリズムと言うものが頭にも体にもないし、はっきり言ってサルサなんて言う音楽を聞いたことがなかった。ダンスのクラスでああこういうのがサルサ音楽かと初めて知ったし、リズム楽器がどかどかなっててラッパがっパッパラなってる音楽はまるっきり頓珍漢(え!!トンチンカンなんてこんな漢字があるの?)に聞こえてた。

サルサは大体8拍子でそれに合わせて踊るんだけどどこから拍子をとっていいのかが全然わからなくってしかも先生がこうやるんですよって女の子をリードしてそれを真似するんだけどフォローしてる女の子(アリーシャと言ってふてぶてしいアシスタントだったけど)が途中で腕できれいな形を作ってそれっぽくやるわけさ。それでこっちはちょっと色々動くものがありすぎてどこを見て習っていいのかわからなくなってしまって、「さあやってみましょう。」とか言われて一人だけ立ちん坊になってるありさまだった。

なんか面白そうでできそうでできないものを目の前に突き出されるとイライラする正確なのね。そうすると見えないふりするか、できるまでやらないと気が収まらないのどっちかで、サルサの場合は後者だった。半年ぐらいやっても全然できなかった。

それでこれから半年やれるだけやってできなきゃやめようと思って町中にあるサルサクラスに行ってサルサパーティーにもできるだけ出た。金曜の夜、月に二回ぐらいやってた。そこに9時頃行って12時過ぎまで何にもできないで壁にくっついてみんなの踊るのを見てたりした。

誰も話もしてくれないし踊れない。時々初心者の娘を捕まえて初心者しかできない動きを一緒にやった。でもそのうちぶきっちょな踊れないものグループができてその中でごちゃごちゃ踊るふりをするようになった。まるっきり高校とか中学校みたいにサルサのダンスの連中にも格好いい組と格好悪い組ができた。そりゃ格好いい組の女の子なんか派手で始終ニコニコケラケラしてて、格好悪い組はそういうのを横目で見て羨ましいくせして悪口いってた感じ。

でもさ一番面白かったのはそうやってるうちに今まで誰も話してくれなかったのにいわゆる下手くそダンス仲間ができた。ラテンバーやクラブに一人でいってもいつも誰か知ってる練習がいて踊ったり酒のんだりするようになった。

でも本当にサルサが踊れるようになるのは3年ぐらいかかった。それは師匠についたから。フランシスという人がいてなんかダンス仙人みたいな感じの人でね。一時間$5とかで人を集めてバーやダンス教室の片隅借りたり、ときには外の駐車場でとかサルサを教えてるんだけど本当は例の有名なライオンキングのミュージカルの振り付けをやった人の弟子なんだよ。だからダンスに関しては世界レベルのことをやってたんだけどダンスカンパニーのなかにいると人があーだーこーだーってのが嫌で抜け出したといってた。

フランシスは本当に芸術家でコミュニティーの中でダンスを教えてて、自分のダンスグループを2,3個持ってた。そういう人達を集めて年に2回発表会みたいなのを今でもやったりしてる。

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(師匠のフランシス)

僕は運良くそこのアフロカリビアンダンスグループに入れてもらって5,6年習った。年に4,5回例の発表会を含めて町の色んな所でパフォーマンスした。小学校の講堂で全児童のまえでチャチャチャを踊ったことがあった。小学生なんか大人が前に出てダンスをやったりすればこれはすごいんだろうなとかって思って見るんだけどまるっきりド素人がやってるんだからやっててごめんなさいと思った。

グループのメンバーもすごかった、色んな人がいた。普通の会社の社員、校長先生、貧乏科学者、ゲイの大学院生、ストリッパー(男)、牧師、ポルノショップのマネージャーとかめちゃくちゃ。人種も白黒黄色ヒスパニックと色とりどり。

まあこんなだったけど5年前にみんなにバイバイしてジョージアに移ってきた。それからほとんど踊ってないうちに足の怪我ばっかりで歩くのも容易じゃないのが2年以上続いた。最近フィジカルセラピーとかいろいろでやっと足が丈夫になり始めてぼちぼちサルサダンスをし始めた。

それで同じ学科のやつでサルサを踊るアレックスというのがこないだサルサダンスカンパニーのオーデションがあるから行こうと誘ってくれて一緒に行った。実はふたりともオーデションに通って今日は一回目のリハーサルがあった。周りはみんな若い人だけどよくもこんなおっさん入れてくれたよな。先生にも感謝。10月21日の最初のパーフォーマンスに向けて今日から振り付け習い始めた。メンバーはたしかにみんな踊れる感じの人だった。まあなんでもいいけど仲間に入れてもらうっていうのはいいよなって、今日はそれを言いたかったの。フランシスに教えないと。こっちでもまた頑張ってますよーって。

 

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皆既日食でアメリカ中がお祭り騒ぎ

うちの近所だと北東に行ったサウスキャロライナ州のほとんどの地域で皆既日食が午後2時半から3時ごろに見えた。そんなわけで仕事を休んでサウスキャロライナに行ったりしてる人も多かった。向こうは向こうでここぞとばかりにホテル料金が3倍近くまで上がってたらしい。中には自分の家をまるまる人に貸したり、裏庭を貸し出してキャンプ場にしたり。貸す方も貸す方だけど借りる方も借りる方だな。

とか思ってたら今朝は今朝で北に向かう車でかなり渋滞もあったらしい。

うちの大学は1時から9万人以上収容できるフットボール場を解放して学生を集めてアナウンス付きでみんなで日食を見た。

仕事に行けば半分ぐらいは来てないし残りの半分はスタジアムに行ったりして一時は一人で研究室にいてなんだか週末みたいだった。

1時半過ぎごろ外を見るとなんとなく陽が弱くなってる気がしたから外に出てみたらもう他の研究室の人たちはへんちくりんなメガネをかけて上を見てた。メガネを貸してもらって見てみるとすでに30%ぐらい太陽が凹んでた。

慌てて上に上がって実験を終わらして2時すぎに出てくるともっと人がいて上を見たり周りを見たり下らない冗談言ったり。

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だんだん少しずつ暗くなるにつれて直射も和らいで気持ちいい感じ。

ジョ−ジア州のアセンズは2時38分ごろ99%ぐらいの日食ということでどれぐらい暗くなるかと思ってたけど、そろそろ夕方かなったかな程度には暗くなったけど99%太陽が隠れた割にはこんなもんかと思った。

ピークになったとき急にセミがわんわんいたるところで泣き出した。

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1%の太陽の明かりでもこんなに明るい。でもフィルター入れないでこんな感じだからね、普通じゃない。

それでもう一回メガネを借りてみると月の影が通り過ぎ初めて、気のせいかだんだんまた明るくなり始めた感じだった。

まあ仕事の休憩にしてはエンターテイメントのレベルはあった方だと思う。

 

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日本人と英語15:skype英会話の先生の経験2 (実践主義が英会話の要)

その喫茶店みたいな名前のスカイプ英会話学校サイトの先生にはいろんな人がいたけど日本人を含めて海外から先生をしている人たちはほとんどが同じことを言っていた。

それは、「なんでもいいからともかく英語で話しなさい」、「間違いてもいいから」。

これができる人は英会話ができるようになる。そうしてそうやって生き残ってきた日本人が外国で英語を使って生活して英会話の先生になってる。だからそういう人たちの言ってることは聞いたほうがいいかもね。

 

英会話ができるようになりたかったらなんでもいいから英語で話せばいいんだよ。書くのも何でもいいから書けばいい。

 

それが日本にいると、「間違ってることを話しても書いても直してもらわなきゃちゃんとした英語ができるようにならない。だからただただ喋ったり書いたりしたって時間が無駄になるどころか変な癖がつく。」ってな考えが出るらしい。

 

実はそんな考えのほうが時間の無駄。

そしてこれを言ってしまったら怒られるけどほとんどの場合考えなきゃしゃべれない人の英語は聞く方にとってはハナからちゃんとした英語を期待してない。間違いばっかいの変な英語を予期している。

誰もプールで10mやと泳げるような人にオリンピックの選手の泳ぎは期待しない。10mも良いで水が耳に入って鼻から入って涙流しながらゴホゴホやってる。でもそんなことが気にならないでバチャバチャやってる人だけが泳げるようになる。

 

それからもう一つは間違いから習うことは絶対忘れないし、自分の使ってる言い方が他の人が使ったりすると余計に気になる。こういうことは単語カードに書かなくってもどんどん覚えて身につく。いわゆる雪だるま式っていうやつ。

 

誰も話す相手がいなかったら独り言を言えばいい。車の運転中とか目に入るもの頭に浮かぶことを全部英語で言うとか。1日でしたことを英語で書くとか。

今はSNSの時代だからツイッターを英語で書くっていうのはいいと思う。知らない人のツイッターも追えるんだから英語を喋る人のツイーッターを追うとか。これは読むだけだけど、こういう人の英語の使い方を真似てみる。

 

結局英語は真似っこだからね。自分で使ってると人の使い方がきになるしそうなればこっちのもんだよ。

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最近あった全然笑えないおかしなとっても悲しい話。

このあいだの話だけど、うちの研究室に2年生になる大学院生がいる。もうかれこれ1年ぐらいうちの研究室で働いてる。彼は中国人の学生で髪の毛がなんだか長くなってきた。それで2、3週間前からゴムで縛ってちょんまげみたいにしてる時がある。

初めて髪の毛をしばってきた日にうちの60過ぎの教授の先生が研究室に入ってきて他の白人の大学院生に「誰だ?あそこで実験してるやつは?」って小声で聞いたらしい。

また3ヶ月前の話だけどその同じ中国の学生がうちの教授と話してるときに全然その学生のプロジェクトじゃない話を延々としていた。なんでだろうとその学生が聞いてみたら、実は、教授は他の韓国系アメリカ人の学生とその中国の学生を間違えて話していたらしい。

アメリカでアジア系でいることは地域によってはこれほど大変なんですよ。差別はおろか存在の認識さえない。

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日本人と英語14:skype英会話の先生の経験1

2014年の春ごろから2年ぐらい喫茶店みたいな名前のインターネットを使った通信教育で金儲けしてる会社の英会話の先生みたいなことをしてた経験を中心に英語産業の裏から見た感想を書こうと思う。

25年以上アメリカに暮らして学位もあるしそれなり普通にアメリカ人として過ごしているからということで先生にしてくれた。その会社は日本人がつくった会社で経営についてもいろいろ文句はあったけどそれはここでは触れないで自分が感じた日本で勉強している人と僕との考え方の違いについてかく。それからそこで出会った面白い人について後で書こう。

2年間で延べ60人以上200以上のセッションをした。数は少ないと思う。でもそれなりになんかを言えるべき数にはなってるんじゃないかと思う。

 

僕はもともと英語の先生じゃなかったから、自分の今までの経験をもとにどうやったら通じる英語ができるようになるかに重点を置いてた。それは僕自身が日本語と英語の考え方の違いを把握して、しかもどうしないと通じないかという事を身をもって体験してきているからそこは強いと思っていた。

始めてみると結局僕のセッションをとったレベルの人たちはいわゆる英検1級を持ってるとか受験を狙ってるみたいな人たちだった。そしてそのレベルの人たちの英語は通じにくかった。英語の文としては正しいかもしれないけで文と文をつなげればつなげるほど何を言いたいのかわからなくなる。作文みたいなものになるとほとんど訳がわからない。

実はわかるんだけど、というのは自分が日本語の目を持ってかかれた英語を読めばわかる。でも英語しかわからない自分という仮定では正しい英語が書いてあるのはわかるんだけど何を言いたいのかがわからない。

つまり書かれている英語が日本語をただ英語に置換しただけに過ぎなくって英語を話す人たちの考え方じゃない。わかりやすい例だと、日本にいる「外人タレント」とかが面白いのは日本語がそれなりに話せるのにああいう人が言ってることはまるっきり日本人の視点でものを見てない。だからそのギャップが面白くてTVに出れる。

 

これは説明しても全然わかってもらえなかった。しまいには「私は英検1級なんだから!」みたいな風になったりして。

中には僕の言ってることがわかってついてきてくれる人もいた。一人あんまり英語はできないんだけどスジが通る話し方ができる人がいた。その頃はトピックを選んでその発表をしてもらってそれについて細かく僕が質問するという勉強法をやっていたけどちゃんと説明できる話し方をしていた。英語の単語数とかじゃなくって「考え方」ができている人だった。ああいう人は喋れば全部通じる。

 

反対に通じないのは英語が得意な人が多いと思った。何を言いたいのかさておいて英語が一人歩きしてる。あれ?と思って振り返ってみても足跡はあっても行きたい方向がはっきりしないで綺麗な正しい足跡ばっかりが残ってる。

 

日本語の考え方と英語の考え方は全然違うという事をあんまり知ってる人が少なすぎる。そこを日本にいる人たちにわかってもらおうとしたけど失敗に終わった。僕が間違ってるとは全然思わないけど日本にいる英語教育者と英語を自分のものにしたいと思う人たちを食い物にしている英語産業の既に犯した罪には到底かなわなかった。一人でいくら言っても誰も聞いてくれない。

 

日本語と英語の違いを教えてあげよう。

日本人はまずはクローンだ。自分もその一人だけど。日本人は全員が同じ感情と同じ考え方を持っていることが正しいという社会だ。だから俳句とか言ってほんのちょっとの言葉を使っても俳句を書いた人みたものが見えて感じたことが感じられる。同じ感じ方を持っているから。普段の会話で求めていることはいつも同意。だからアメリカ人が日本人の真似をする時「はいはいそうそう」とやる。これも結局自分と考えが同じことを前提として相手に同意を促す会話をするのが普通とされてる。「どうして?」とか、「違うんじゃない?」とか絶対にいってはいけないと教わる。

ところが英語、特にアメリカ、は会話などはほとんどの場合相手が自分と全然違う考え方を持つという前提でコミュニケーションをする。だからなんでもいちいち詳しく丁寧に説明する。相手がわかるまで。反対されたら反対の意見を聞いてそれに対する説明を一つ一つする。そうやってお互い理解しあうことがコミュニケーションの目的という考え方がある。

「日本=みんな同じ」に対して「英語(アメリカ)=みんな違う」というふうになる。

じゃそのためにはどういう訓練をするか?というのを僕はその頃やっていた。

一番簡単で難しいのは何か言ったことに対して根掘り葉掘りの質問に答える、答えられるようなことを言う。こういうことができれば英検が2級でも英検が1級の人より実は通じる。そこをわかってほしかったけどわかってくれていた人は多分2人ぐらいしかいなかったと思う。

でも一番の敵は日本にある資格試験だった。日本で英語の勉強をしている人たちは通じなくっても資格試験で点が取れればいい。資格試験に受かれば英語が通じるようになるという考え。というか点が取れなければ英語の勉強をする意味がないという事実があまりにも大きなハードルとなって僕はギブアップした。そして思った。日本でいくら勉強しても日本の英語産業に食い物にされるだけだしそれに関しては太平洋戦争の後全然進歩してないなって。

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日本人と英語13:英語との付き合いでラッキーだったこと。

英語と初期に結構うまくやっていけたのは自分の性格をよく考えてそれで英語と付き合っていたからだと思う。

そのうちで一番大切だったことは自分は勉強ができないということを早いうちから自覚していた。「強いて勉める」ことが大嫌いで出来ないし絶対長続きしない。

その代わりに自分の中に燃えるものがあるときはそれだけに集中していればある程度はできる。その他あと5分しかないぞーとかになると火事場の馬鹿力で頑張る。

自分のものにしようとしたらなんでも長期戦だ。急に燃えてもすぐ燃え尽きるし「あと5分」じゃなんともならない。

だからなんとか心の底に燃えるものを持ち続けられる環境に自分を置くようにしてた、というか結果的にそうなってた。

例えば津田では授業の後に遊びに連れて行ってくれるから頑張って通ってたとか。英語の本を電車で読むとかっこよく見えるだろうなという妄想で自己満足したり。そういう全然英語と関係ないところでボソボソ燃えてたわけ。

だからいつも英語は二の次三の次。わざとそうしてた。前にも書いたけどわかんないことはそのまんまか分かったふりで誤魔化してた。辞書は持ってたけどほとんど引かなかった。いつかわかるようになるだろうと本気で信じてた。

 

それから自分で勝手に決め込んだ「本物」を追いかけた。

日本語で説明してある英語の教科書は本物じゃないとか勝手に決め込んだ。「こういう時にはこういう風に言うんだ。」という考え方も偽物と思った。どうしてかというとそのパターンにはまることは実際に絶対と言っていいほどありえない。そんな時に決まった答え方っていうのは絶対に場に合わないと勝手に決めてかかってた。

英語とは違うけど子供の時はファッションにも興味があった。アメリカのTVドラマを沢山見てたけど主人公の服の着方は主人公だからモデルさんみたいに誰かが考えて着せられてるんだろうなと思った。これは偽物だと勝手に決め込んだ。それでエキストラの人たちの服の着方が本物だと思ってそれを一生懸命見て真似したりしてた。

英語に興味があったけど英語のために英語をやるのは本当じゃないと思ってた。英語は言葉だからそれを使って何かするのが英語の存在する本当の目的だと思ってた。アメリカに行ってみたかったけど当時流行ってた「短期語学留学」は偽物っぽく感じた。アメリカに行くんなら正規の大学に通って英語を使って正規の授業でちゃんと単位を取るのが本物と思ってた。

そのくせなんでも「適当」でやってた。

僕は時々絵を描くんだけどペン画とか絶対にできない。いつも油絵で適当に色を置いていってその上からまた何回も塗り替えたり例えば描いてる木の位置を後からずらしたりとかそういうことしかできない。線を一回描いてそれが一発で決まるっていうのは性格に合わない。なんとなく感じたことを積み上げていく、途中で修正する。それで自分の気持ちのこもったものを作り上げる。

英語だって最後に自分の言いたいことがちゃんと伝わればそれでいい。何かいいだしてそれをだんだん形にしていく。自分で話しながら考えてる。言いたいことは最初に思っても口から出る言葉は喋りながら作り出す。聞くのも聞こえた後に頭の中に相手の言いたいこと、TVやラジオで言ってることの意味が残ればいい。そういうことが大切だと勝手に決めてた。

アメリカに住んでからはラッキーだったと思えたことは何もない。毎日が戦場で英語は死なないための道具の一つとなった。荒稽古と貧乏で鍛えられた、反則技もなんのその。でもそれがある意味ラッキーだったのかもしれない。

結局一番ラッキーだったのは「勉強」が嫌いだったことかもしれない。そのおかげで分かることだけ気にしてわからないことは無視しておくことができてた。それはちょうど出来たからあめだまもらって喜ぶのとできないから横っ面ひっぱたかれて泣きべそするのと同じで、あめだまの方が誰でも嬉しいしやる気が出る。反対に毎日横っ面ひっぱたかれてたら誰だって嫌になるしな。

これで2から12までの要約にします。

この後この延長で、スカイプ英会話の先生の経験とかそこで感じたことを書きます。

 

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日本人と英語12:日本に住む日本人の大人は日本語を勉強するか?

さて、日本人で日本の大学を出て仕事に就いてる人は日本語の語彙数が増えるだろうか? 言葉遣い、言い回し、時代に反映する新しい言葉。こういうものは増えると思う。それは日本語の社会で仕事をして人と付き合ったり、新しい趣味を始めたり。また会社で手紙の書き方、親戚付き合い、季節の挨拶などおとなになればそれなりに責任があるしそれなりの日本語を使わなければならい。外人が片言で使う日本語のようでは社会の一員として受け入れられない。

英語もそうで、アメリカ人となってアメリカの社会の一部となって暮らすにはそれなりの英語力がいる。それがアメリカの高等教育を受けた普通にアメリカで生まれ育った人たちのレベルじゃないと一人の男(女でも)として成り立たない。

でもそれは最初に書いたように日本でだんだん大人になって日本語がしっかりしてくるように社会で生きていくうちに出くわす色々な「試練」のうちに身についていくし、それが自然なことだと思う。

もともと僕の英語の勉強としては例の300ぐらいの構文を高校の頃無理やり覚えた時点で終わっていたけど、帰米してからは意識してアメリカの社会のことについて敏感になるようにした。

アメリカはいろんな人が住んでるからこれがアメリカだっていうものは難しいけどないわけじゃない。やっぱりここに生まれてここで育った人たちが国民の主流だからそれなりの共通項はある。何においても分布図を書けば日本のそれと比べてベルカーブの裾野が広いかもしれない。だからと言ってカーブの端っこんいたんじゃちょっとやりにくい。一通りいろいろ知らないといけないと思った。そのためにはTVが一番良いと思う。今はインターネットがあるからそれでもいいけどTVはついてるだけでドンドン情報が入るから楽。

くだらないことほどいい時もある。

例えば、TVといえばコメディーをよく観た。アメリカのコメディーはおかしなところで後ろに笑い声が入る。最初の頃はどこがおかしいのかわからないけど悔しいからTVが笑ってるとこで一緒になって笑ってた。大体コメディーのおかしいのは、普通ならこう反応するだろうというのに意表をついた違うことをしたりするからおかしい。だからアメリカ人がどういう風に「普通に」反応するかがわかってないとどうしておかしいのかわからない。そこが違う文化圏から来た人の辛いところ。まあできたら笑える程度じゃなくて自分でおかしなことを言って周りの人たちを笑わせられるぐらいに成れば外国語の訛りがあったりしても普通に仲間に入れてくれる場合が多い。

 

最近は自分の英語の欠点も気がついてるけど面倒臭いからあるものでごまかしてる。そんなに悪いことじゃないとも思う。日本にいる人だって、いつもあの漢字が書けないとかどうも手紙の挨拶が苦手とかあると思う。だからってダメってなことじゃないしいつかはよくなるだろうと思ってほっといているんじゃないかしら。日本語も英語もそれでいいと思う。

 

一応これで自分と英語の関係の歴史を終わります。でも一つ勘違いしないで欲しいのは僕は自分で感じるほど毎年英語ができるようになってると思う。それは英語の単語数とか言い回しとかの数じゃなくって、生活の中で英語を使ってコミュニケーションをする全体的な力、例えば人との話し方や話せるトピックスなども含めて、が向上してると思うしその努力はしてる。それは仕事でも仕事以外でも社会で生きていくための自分の生活の基礎になるからです。

 

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