カガクシャ絵日記

SURVIVAL AIN'T MY LIFESTYLE. (死なないように生きてます)

英語と日本人3:僕と英語(高校1,2年生頃) 

あんまりにも運動ができなかったから中学校に入ったときに、親に「走ってるだけでいいから陸上競技部に入ればいい。」と言われて陸上をやりだした。なんにもわからずみんなのあとについて走ってたら2年生になったときに1500mで大会に出してもらった。

そんなこともあって高校に入っても陸上部に入って頑張ろうと思っていたら、高校に陸上部はあったけど3人ぐらいしかいなくってかなりがっかりした。

陸上部にはせきはおいといたものの、練習は出ないでうちに帰って近所にあった区立の公園の中の競技場で一人で練習してた。それで、大会なんかも一人で登録して一人で行ったりしたこともあった。学校の外で自分の好きなことを自分でやるっていう考えが無意識にでき始めていったと思う。

 

さて学校は全然勉強はしないで弁当食って昼寝をしてるような毎日だった。勉強はしないから全然できなくなった。みんなとちょっと違ったのは試験の前に徹夜で勉強した。だからなんとなく全体では学校の半分ぐらいで別に勉強がまるっきりできないということでもできるということもないどっち付かずだった。

2年生の頃はほんとうにふざけたクラスでクラスメイトの半分ぐらいは来たりこなかったり。その代わり夜はみんな暴走族の集会で顔を合わせてるみたいだった。制服もなくって、今は坊主頭の僕も実はこの頃はパーマをかけていた。

 

さて英語の方はって言うと、もうどうしようもない状態になっていった。どうしてかというと、英語がリーダーとグラマーの2つに別れたのがまるっきりついていけない原因だった。

リーダーの方の文は結構難しくなって和訳と英訳が1対1としてうまく働かない状態になったことと、わからない文や単語が増えすぎたこと。例のノートに英語の文と和訳を書いて覚えるというとこに中3の頃から限界が来てたのに高校では全くそれができない状態だった。

あのころのリーダーの授業というのは教科書の一文一文を席の順番で当てられて立ち上がって一文読んでそれを和訳するというやり方だった。だから席を数えて自分が当たる文を数えて見つけて自分の番が来る5分ぐらいの間に一生懸命どう訳すか考えて、運が良ければこたえられてた。時々全然わからないときは、「わかりません。」とか行って先生に怒られた。仕方ないから先生がそこを訳して、こっちは申し訳そうな顔をして座ってあーよかった、ってな感じだった。しまいには先生に嫌われて僕を飛ばして次の人に当てる事もしばしばあった。

グラマーの方ははっきり行って全然わからないのを通り越して、勉強をしようとした記憶もない。はっきり行ってグラマーの本の文法の説明に書いてあった日本語の意味さえわからなかった。助詞とか副詞とか言われても今でもわからない。文型なんてのはまるっきりトンチンカン。

あの頃ちょっと興味があった勉強は美術となぜか生物だけだった。ちなみに国語と世界史は本当に情けなかった。数学に至ってはここで触れるのはやめとこう。ただただなんにも勉強しない、別に悪いこともしないというただただボケーッとした高校生だった。

 

そんな僕がアマチュア無線を始めたことがきっかけで次第に英語に興味を持ち出したのは高校2年生の秋頃だったと思う。

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水曜日:非常事態と恐怖の1日

今日仕事に行ったら非常ベルが鳴った。まだ実験始める前だったからカバンを持って外に避難。消防が来て普段は装備もなしで入って行って色々チェックして出てくるのに今日は何かありそうな。このクソ暑いのにすごいの着ていくなあと思ってた。ちなみにドアを開けてるのは学科の教授です。

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なんと今回は本当に何か起きた!   

しかも火事とはまるで反対の大水。

Bタワーの2階の消火用のスプリンクラーが一つ誤作動して水がドウドウ出て1階の天井から漏れてたらしい。それでスプリンクラーの水圧が下がって自動的に火災報知器のベルが鳴って消防に通知が入った。

 

僕たちはAタワーだし4階だから水は漏らないと戻って実験を始めたらまたベルが鳴る。と思ったらまた止まった。と思ったらまたなったり。呆れていると事務所から学科全員あてに水の被害が大きいので学科長が今日は学科を閉めることを決めましたというイーメールがきた。

みんなで学科を閉めるってなんだよ?学科事務所をしめるのか?とか言って笑ってたら事務所から人が回ってきて危険だから今日はみんな帰ってくださいとか言ってる。

そのうちボスが来た。ちょっと焦ってる感じ。うちのボスが学科長だから、みんなに帰るように言ったのはこの人なんだけど。要は、建物全体の水を止めなくちゃいけなくってそうするともし本当の火事が起きたらスプリンクラーはきかなし、第一水道から水が出ないから安全のために今日は一時建物に入ってはいけませんということ。

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それで20分後に外で研究室の会議をすることにしてみんな片付けて外に出た。こっちは大事な寄生虫があるから慌てて顕微鏡で見て植え替えてともかく2日は生き残れるようにしといた。

30分間30度ぐらいの暑さの中で待ってやっとボスがきた。みんなで車座になってボスが立ちあがって来週あるリトリートの話をして誰がどんなことを発表したらいいかを30分ぐらいやって家に帰ってきたら2時過ぎ。

 

それで昼飯作りながらツイッター見ると指名手配人のことが出てる。

この二人、昨日護送中に運転手と護衛を殺してバスから逃げた。その時拳銃も奪って逃げた。すぐ後ろに走ってたホンダシビックをカージャックして逃走。その後どっかの家に泥棒に入って服とか食物を取った後100円ショップで目撃されたきり。

左のやつなんか映画に出てくる気違いヒト殺しみたい。すごい刺青。

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それを昨日うちの隣の群のシェリフがツイートしてた。

 

え!こんな近所なの?と思ってたら今朝どうも車を変えるためにトラックを盗んだらしい。しかもまたそんなに遠くないところで!

 

なんだよ車盗んどいてまだこの辺にいたのかよと思ったらちょっと怖くなった。

 

だって映画でよくあるじゃない。こういうのっていつも森の中の山荘みたいなとこに逃げ込む。俺んちってマルッキリそんな感じの小屋。

 

さすがに、こないだネットで見たレミントンのポンプ式12ゲージのショットガン買っときゃよかったと思った。あれ$450だったな。

仕方ない、もし入ってきたら奥の部屋のドアの裏に隠れて、入ってきたところを包丁で胸を突いて銃を奪ってもう一人も撃ち殺してやる、なんて映画じゃねーよな。

 

ももし、白いフォードのトラックがドライブウェイにブーってきたら裏のドアからさっさと森に逃げますよ。

 

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月曜日:こっちが折れて仲直り

日本の桜の開花宣言というのがあるけど、僕にとってこの薬学部の前にあるサルスベリが咲くと夏本番という勝手な季節感がある。ジョージアについに本当の夏が来ました。f:id:trahate:20170613100558j:plain

学校を卒業して夏の間だけ研究室でフルタイムで働いているイジーの仕事ぶりがあんまり良くない。何を言ってもわからないような返事をするし、いまいちやる気がなさそうな態度。確かに時給は安いし将来この道でやっていこうという気はないのは知ってるけどもうちょっとしっかりやって欲しいと思ってた。

先週の木曜日についに言っちゃた。「何言っても反応がわかってないとしか思えないようだぞ。どうしたんだイジーもう1年やってきたのに卒業したらみんな忘れちゃったのか? 」それ以来ふてくされた顔で僕と話す時もこっちを見ないで話す。でも僕がいないところでは他の大学院生と楽しそうに話してる。

今日もちょっと遅れてきてふてくされ顏。

どうしたもんかと思って昼飯食いに行きながらちょっと考えた。その時、宮本武蔵五輪書に書いてある大工の棟梁の話のことを思い出した。武蔵は大工の棟梁の話にいかに材木の質を吟味してそれを上手にその材木個々の質にあったところを十分生かして使い分けて家を建てるということを、人を使うのはこうでなければならないと言っていた。

 

だとするとこっちはイジーができることが最大限に発揮できるようにこっちが働いてやることによって彼女の仕事も上手に進みチームとしてプロジェクトが先に進むんだということに改めて気がついた。

それで飯食って帰ってからイジーを呼びつけて、「ちょっと強く言い過ぎたから悪かったごめんなさい」と言って謝った。「これから俺ができるだけ助けてやるからお前はできることをどんどんやってくれ。」と言ったら、「嫌だったのは仕事がうまくいってないから間違いちゃいけないと思って簡単なこともこれでいいか何回も聞いて確認してたのに馬鹿にされたのが嫌だった。」という。まあそれもそうかもしれんと思って、「悪かった。」と言った。それでこれからの計画をちょっと話して午後自分は試薬作りに回った。

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この溶液は買えば50ドル。多分ボスは買ってくれないとみんなが言うから自分で作った。ところがどっこいなかなかpHが合わない。

やっとできてフィルターで除菌したらなんだか茶色いものが沈殿してる。

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化学の博士のマサノに聞いたらマンガンが入ってるか?っていうからマンガン入ってるって言ったら、マンガンが酸化して沈殿してるんだという診断。僕もなんかが酸化してるんだとは思ったけど、化学博士に言われれば流石に説得力がある。

明日もう一回作りなおす。

イジーは帰り頃は元気が戻って、何も言わないのに自分でどこがおかしくっていい結果が出ないかノートを整理したりしていきなり責任感が出てた。向こうも向こうで週末いろいろ考えたり友達や親と話したりしたんだろうと勝手に思った。

 

大人になるって大変よ。

 

イジーもそうだけど今回のことはこっちも一回り成長したかも。

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日本人と英語2:僕と英語(中学卒業まで)

前にも書いたように、これから何回か自分の経験を書く。

 

僕が生まれたころはTVは白黒でしばらくしてカラーテレビなるものが世に出始めた。僕たちは大人から「テレビっ子」と呼ばれてた。TVをみることが人をダメにすると考えられていた。そんな時代だった。

僕は幼少から体と頭が貧弱でなんだかフニャフニャしたなんのとりえもない子供だった。どっかおかしい子供だった。今で言うADDとディスレキシアと心身症があったと思う。今でもADDとディスレキシアは仕事に影響がある。あとで、書くと思うけど、この2つは英語の勉強の仕方にある意味影響を与えてると思う。

僕のまわりには別に英語が話せる人がいたりとか、インテリっぽい仕事をしてる人がいるとかとはまるっきり縁のない環境だった。

 

小学校4年頃だったと思う、ローマ字を習った。母音と子音を英語のアルファベットで組み合わせて日本語の発音にあわせるまるで暗号みたいなものに結構興奮したのを覚えている。

ローマ字については2つのことをオモシロイと思った。1つは、知らない人には読めない、でも自分には読める書けるという事。これは貧弱だった子供にとってはある意味「秘密のパワー」だったのかもしれない。

もうひとつは、組み合わせの意味がわかった。子音と母音それとあいうえおの50音表にどんな意味があるのかがわかった。

ここで一つ特筆するべきことはこの時点で英語のアルファベット26を知っていたわけじゃなくってただローマ字だけがわかっていた。

 

僕の時代は何故か中学に上がると親戚とかが万年筆をくれた。万年筆は何をするのかと父親に聞いたら、これで英語を書くんだといわれたのを今でも覚えている。

僕は初めて中学の英語の時間にアルファベットが26あるといことを習った。今までいろんな勉強ができなかった自分でも英語は新しくスタートラインがある。みんなと一緒だと思って内心期待していた。

ところが、最初の英語の時間に先生が黒板に英語の単語を僕の知らないアルファベットを使って書いた。そこで先生がクラスに向かってこれはなんと読みますかというと、クラスメイトの半分ぐらいがそれを読んだ。これはショックだった。あとで友達に聞くと塾で習ったらしい。僕は塾には行ってなかった。

それから毎日家に帰ってノートに例の万年筆でアルファベットを2時間ぐらい書いて練習したのを覚えてる。どうしてそんなことをやってたかと言うと万年筆のインクがだんだん減るのが楽しかったのと勉強とは何をするべきかということを全く知らなかったから。

ただただ単純作業を続けて万年筆のインクが減っていくのを楽しみに1ヶ月ぐらいやってた。そのうち名案が出て万年筆を消しゴムに突き刺してみたりコップの水に突っ込んだり本当に頭ん中がそんな程度だった。

そんなことをやっていても、一学期の中間試験がやってきた。

中学校の英語の教科書はニューホライズンだった。そこの本文をノートの左側のページに一文ずつ全部書いて、右側の方にその役の日本語を書くという非常に画期的な勉強方法を思いついた。片方のページを隠して日本語訳をチェック。できたらもう一方を隠して日本語を見てから英語を書くという勉強法をしてだいたい全文いわゆる丸暗記した。もちろん発音とかは全然知らなかったから昔鍛えたローマ字でよんだ。

この勉強法は実は結構効果があって中学の間は全部このやり方で英語を勉強した。ところが中3ぐらいになるとニューホライズンの字も小さくなって本文もたくさんになった。なんとか続けたけどこの方法も限界が来てた。参考書とかで勉強したことはなかった。

別に英語ができるということはなかったけど中2までの丸暗記でなんとか高校受験は凌いだ。いわゆる偏差値が50ぐらいの都立高校の普通科に入学した。

高校に入ってからは学力はどんどん下がった。

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土曜日と日曜日:寄生虫の世話してのんびりと

昨日と今日はちょっとだけお昼前に寄生虫の様子を見に研究室に行ってきた。

車に乗ると座席の頭のところに蜘蛛が巣を張ってそれが頭と顔にくっつく。なんだなんだって後ろを見るとなんか変なものがる。f:id:trahate:20170612071350j:plain

動物の足跡?思わず車の中を見回したけどそれらしきものはいなかった。

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指でゴシゴシやったけど取れなかったからきっと前からあったのにきがつかなかったんだなということにした。

後で気になってインターネットで見てみたけど普通の猫の足跡見たい。

昨日は研究室のあと車もなおったしアセンズの西側、ウェストサイド、と言われる方に探検に行った。と言っても古着を見に行ったんだけど。いつもは森の中に住んでるからやっぱり街はいいなーと思った。あっちの方に引っ越そうかな。

夕方スーパーマーケットに行った。最近こればっかり買って帰ってくる。2パック6ドルのブルーベリーと出来合いのサンドウィッチ。

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ブルーベリーは24時間以内に2パックなくなってしまう。今が時期なんだよね。甘くてうまい。

 

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金曜日:やっと車を直した。$184.87也、チンチン!

水曜日に門前払いを食ってから再度チャレンジ。

今朝8時に頑張って車を持って行った。今のところ数えただけで5つは直さなきゃいけないとこがあるけど今日はともかくエンジンの不調とワイパーのモーターの雑音とオイル交換。

修理工のおっさんはトラビスと言って同じ名前。でも南部訛りが強くって部品の説明をされても何言ってんのかわかないぐらい。それでも、僕の顔と車を覚えてくれているようで最初の頃と対応がちょっと違う、存在を認めてもらってる感じがしたのでちょっと安心。田舎の生活では大事なとこ。よそ者扱いされるのは嫌だからね。

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ここはいつもいっぱいで忙しい。

研究室まで歩いて20分ぐらいだからここに車を置いて歩いていく。朝8時ちょっと過ぎ朝日がきもちいい。

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大学のすぐ近くのタウンハウス。こんなとこの住みたいなー。歩いて仕事に行ける。

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朝顔じゃないな。

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このちょっと先が学科の建物。

 

5時半ごろ仕事を早めに終わらせてまた歩いて車を取りに行った。

「ワイパーは音がしてもこわれてるところはないよ。ギアーのとこだからあれは直したら$600以上。」とか言われた。

ちゃんと車とこっちの身なりを見て直すようなもんじゃないと言ってくれるところがいい。エンジンは第一シリンダーのシリンダーコイルを取り替えた。それからオイル交換しといたよって言われて全部で$184.87。

20年ぐらい昔に似たような修理で$300以上払ったことがあるから結構取られるんじゃないかと思って覚悟してたからなんとなく嬉しかった。

乗ってエンジンをかけると外の雑音でエンジンがかかってるか分からないほど静かになってる。走り出しても今までのような問題もない。なんか車に乗るたびに修理費のことが気になって頭痛の種だったのが(今の所は)運転するのが楽しいぐらい。

この夏は左前輪のショックを直してブレーキパッドとタイヤを新しくしたい。そうすればアトランタに遊びに行くのもあんまり気にならない。またその頃にはどっか他が壊れてるんだろうけど。

 

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水曜日:ハンプデイとは言うものの下り坂はまだまだ

朝の8時に車を持って来れば見てやれるというから行ったら、修理工の駐車場は満タン。案の定金曜日にならないとみれないと言われてがっかり。一応文句は言ったけど怒らせてもいけないから、じゃ金曜日にまた来るわって、仕事についたら8時半。

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途中で、大学の構内のアイスクリーム屋さんでコーヒーを買ったらコーヒーマシーンが壊れてて熱くないと言って売店のおばさんが怒ってた。こっちはあんまり早く起きて眠すぎるからコーヒーならなんでもいい状態だった。

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今日は予定してた通り午前中に一個、午後に一個大仕掛けの実験をした。

 

帰りがけにイジーが今週はもっと働かないと20時間しか働いてないからなんかすると言うんでDNAの塩基配列をチェックするやり方を教えてたら1時間ほどしてもう疲れたから帰ると言い出してそんじゃやめようということになったのが8時だった。

イチンチよく働いて最後は子守りまでした忙しい日だった。ボスが帰り際にいきなり会議しようと言ってたし、明日も忙しそう。

それに金曜日は車の修理。そっちもいくらかかるんだろうとちょっと不安。

 

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