カガクシャ絵日記

SURVIVAL AIN'T MY LIFESTYLE. (死なないように生きてます)

日本人と英語9:留学と英語(後編、留学と英語力)

春学期が終わって自分の人生の方向を勝手に決めた。大学院に行って生物化学をおさめるんだって。そのためにはこの留学の成績が鍵になると思った。そして計画的に成績の平均が上がるような履修の仕方をした。大学院進学の推薦文を書いてもらえるような先生も見つけなきゃならなかった(誰に書いてもらったか忘れたけど)。

夏学期は元から決まってた通りキャンパスを離れてホームステイに行った。これは3ヶ月あったので3件ぐらいの家にたらい回しされたと思う。

一軒面白いとこに行った。そこはバプティストというキリスト教のうちでフォスターファミリーをやってた。フォスターファミリーは法律で親元から離された子供を預かって育ててやる制度で、僕もなんとなくその一人みたいになった。そのうちで牛の搾乳を手伝ったり子供達と川に行って一日中泳いだりした。その時フォスターキッズは7歳と5歳の兄弟が居た。お兄さんと妹で2人とも母親に虐待を受けてるらしい。それでもおかあさんが会いに来るとそれがこの世で一番嬉しいみたいにはしゃいでた。5歳の妹は体の成長がおかしくって体が2歳ぐらいの大きさしかない。医者に行っても原因がわからないらしい。大学だけじゃ見れないアメリカを夏の間にたくさん見聞、経験した。

 

さて夏も終わってキャンパスに帰ってくるとやっぱりある程度英語が楽になってたと思う。留学にも辞書は持ってきたけどロングマンの英英でほとんど使わなかった。途中でペーパーバックの英英を買ったと思う。でも以前とおなじで辞書はほとんど引かなかった。

有機化学は教室があんまりにも遠いので途中から行かなくなって一人で教科書をやって勉強した。それでも結果は優に当たる4をもらった。専門教科の大学レベルの教科書は一人で読んで勉強できる程度にはなっていた。

生物化学の講義は相変わらずテープを聴いてた。宿題が出た時に教授がアジアから来た学生は教科書丸写しの答えを書いて出すけどそれは違反ですよと言っていたのを覚えてる。理解したことを英語にするのはだんだんでき始めてきたと思う。友達にお手紙程度のことは何となく書けたと思う。

果たしてヒアリングが一番難しいというけど確かにそうだと思う。1年の留学で会話に関しては不自由はなくなるけど知らない事は聞くのは難しい。

冬になって、留学10ヶ月ぐらい経って映画を見に行った。キャンパスで映画をやってた。トムクルーズがカクテルをぐるぐる回す映画で大した内容じゃなかったけどびっくりするほどわからなかったので仰天したのを覚えてる。悔しくて2回見に行ったような記憶がある。

日本でいうペラペラっていうのはなにを言ってるかはともかくしゃべった時に日本人離れしてるように見えることを言うけど、そう意味ではペラペラにはならなかった。わりと無理なく相手の言ってることを理解して答えることはできる程度だったと思う。寮のルームメイトとは部屋で話はしたけどみんなでどっかに行ったりすると特別に質問をされるまでは話に加われない感じだった。

だいたい1年留学して英語はそれぐらいだったと思う。

英語なんかに比べれば何十倍も留学中に勉強した内容の方が大きかった。大学に帰ってちょっと良くしてくれてた教授に勉強してきたノートやレポートを見せて研究室を変えてくれと頼んだ。そして教授会にかけてもらって変えてくれることになった、今までに例のないことだとかもったいぶったことを言われた。生物化学の研究室で1年やって卒業した。研究は確かステロイド系のホルモンが遺伝子制御に関係するという研究に使うDNAの組み替えをやったと思う。卒論はレポート形式だったけど一応英語で書いた。

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