カガクシャ絵日記

大学の研究室で働くってこんな感じ?

日本人と英語7: 短大、編入学して留学を目指してた頃。

短大に入ってからは津田には行かなくなって片道1時間半かかる通学に一生懸命本やタイムとかを読んでいた。電車に乗ってる間は往復2時間ぐらいだった。駅から歩いてる時はカセットテープに録音した映画の音を聞いていた。

その他イスラエル人の知り合いが何人かできてそういう人たちとつるんでる時間が増えた。当時はイスラエル人が東京に多かった。

実は短大に行った理由に一つ夢があった。

短大は4年生の学部や大学院で博士課程もあるちゃんとした大学システムに入って、そこの学部学生が毎年3人選ばれて150万円奨学金をもらって1年間交換留学に行けるということが学校紹介に書いてあった。

短大に入った僕は短大を卒業して学部編入して留学したいという遥か彼方みたいな夢があった。

 

短大の2年生の時に野菜を作るコースに入った。その時に農場でキュウリを作ったんだが僕の班のキュウリは梅雨の間に腐って溶けてしまった。それから前期はやることがなくなってしまって農場の端っこでタバコを吸ったりしてた。

 

こりゃダメだなと思った。このままいってもダメだ。

科学者になろう!って。

 

それでいきなり科学者を目指した。

編入して科学者になるために一番科学者になれそうな学科の編入試験を受けることにした。試験科目は有機化学100点、無機化学100点と英語200点という振り分けだった。英語が全部で50%なら入れるかもしれないと思った。それで1年間化学の勉強をした。本屋で本を買ってきて勉強した。

実は、僕は高校で全然化学をやってなかった。こたつで朝まで勉強した。でも勉強するというのはどんなことか知らなかったからいくらやっても全然わからなかった。

試験を受けるとなんと受験者は僕だけだった。試験を受けたら有機化学は半分ぐらい行ったかもしれないけど無機化学は半分以下の点しか取れなかったと思う。でも英語はできた。多分100点かそれに近い点だったと思う。

二週間後に面接試験があった。化学が全然ダメだったから絶望してた。学科の教授が5人ぐらい向こうに座ってこっちは一人きりで試験の問題をまた見せられた。「これはどうやってやりますか?」と言われて「わかりません。」と答えた。すると、「君はできなかった問題をうちに帰ってどうやるんだろうと勉強しなかったのか?」とか言われて「はー、あんまりにもできなかったんで諦めてました。」とか言ったと思う。それで「君はもし学科に入って将来何をしたいですか?」と聞かれて「はい、学者になりたいです。」と答えた。全然試験ができなかったのによく言うわと自分でも思った。

あんまりにも絶望してたんでこれからどうなっちゃうんだろうとか考えてもいなかったら、結果的に編入試験に通った。でも短大のコースがあんまりにも科学者とは遠いんで3年次でなく2年次編入だった。嬉しかった。そして思った。留学選考まであと2年間時間がある。

2年生は化学系の講義と実験が朝から夜中までほとんど毎日あった。基礎がないからかなりしんどかったけど3年に進級できることになった。

それで春休みに成田から生まれて初めて飛行機に乗った。イスラエルキブツという共同生活をしているコミュニティーに住み込んで農場で仕事をしながら色々考えようと思っていた。

イスラエルに行って来まーす。」と言って朝の5時頃家を出たものの飛行機の切符はロンドンまでしか持っていなかった。まるっきり無鉄砲というか知らぬが仏みたいな旅だった。それでも死なずにイスラエルまで行って帰ってきた。

自分の判断と自分の英語力だけが頼みの旅だった。英語が上手にできるようになったとは思わなかったけど違う文化と、はるか遠くの地にも人間がすんでるという実感を持って帰ってきた。

3年生の夏に留学の選考試験があった。試験はミシガンテストという英語能力テストと作文と面接だった。テストの後、僕は住み込みで1ヶ月間北海道に麦刈りの仕事に行った。

結果の発表は秋だった。夢にまで見た3人の留学生の一人に選ばれた。

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