カガクシャ絵日記

大学の研究室で働くってこんな感じ?

日本人と英語5:津田英会話学校で進級試験に落ちて初めて英語を勉強した。

高2の秋10月に初めて英会話を習い始めた。よく覚えてないけど、基礎クラス、初級クラス、中級クラスと上級クラスがあった。基礎以外はその中でも2、3段階にわかれていて試験に受からないと次のクラスに行けないようになっていた。

もちろん試験なんて恐ろしいから試験のない基礎クラスに入れてもらった。

なんか先生が英語を話してる。ほとんど何言ってるかわからない。教科書もあって全部英語で書いてある。しばらくいってるうちにこれは発音記号を習うクラスだということに気がついた。

津田は授業が基本的にみんな英語だった。ほとんどが帰国子女みたいな先生だったけど中には白人の先生もいた。ともかくやっぱり何だかわからなかった。

クラスの他の生徒はサラリーマンと大学生が半々ぐらいだった。それも早稲田の人が多かったような気がする。僕は最年少だった。

どうして全然わからない英会話学校にちゃんと言ってたかというと授業の後にみんなが飲みに行くのに一緒に連れて行ってもらえることが嬉しかった。まだ高校生だったからなんとなく大人の仲間入りで新宿とかその辺に行って嬉しかった。

基礎からは次の初級のクラスには試験がなかったから進級した。2、3回進級するとずっと同じクラスだった人たちが本当に仲良くしてくれて結局英会話学校に友達に会うのが楽しくって通ってた。

自分だって高校の授業はできないけれども中2までの英語はそれなりに自信があったからそれだけでもなんとか英会話のクラスは途中までやっていけた。ところがやっぱり限界が来て初級の上のクラスか中級の下のクラスか忘れたけど進級試験で落第した。

同じクラスをもう一度やらなきゃならなくなった。友達は進級したけど落第したから新しい友達もできた。

その頃自分でもこれはいかんと思って英語を勉強しようと思った。英会話学校は英語の会話になれるにはいいけど英語の勉強にはならないなっと薄々感じてたからなんとか自分でやるしかないと思った。たぶん高校1年の時にかわされたのだと思う英語の参考書みたいなのが2冊あった。そのうちの一冊は英語の構文集みたいなものだった。500ぐらいの構文が書いてあってそれを覚えたらいいと高校の先生が言った。

これは昔に中学校の教科書をほとんど丸暗記したようなことに似ていたからすんなりやり始めた。今度は単語カードを使って一つ一つ日本文を見て英語の文に書き換える練習をした。前にも書いたけど頭を使って考えることはできないけど物を丸覚えすることは人並みにできたし、そういう単純作業みたいな勉強法が結構性に合ってた。

半年ぐらいで多分300ぐらいは覚えたと思う。そのあとはなんだか構文が難しそうでよく理解できないからそれぐらいでやめた。今でも覚えていて意味がわからないから仕方なくって日本語訳もそのまんま丸暗記した文がある。

"I cut myself while I was shaving."の日本語訳が「剃ってる間に切っちゃってね。」というのだった。この日本語の意味が何十年もわからなかった。当時は床屋のオヤジに散髪と髭剃りを一緒にやってくれと言ってるんだと思ってた。でもなんだかおかしい。だいぶ後のなってから英語の意味がわかって、ああ自分でヒゲを剃っている時に間違いて切っちゃったんだなーってのに気がついた。ある意味英語がわかったから日本語の意味がわかったみたいな変な文もある。

そんなことはともかく、これをやったおかげで自分の言いたいことはなんとか英語にすることができるようになった。

それで進級試験も受かってその後一度も落ちないで進級した。クラスが進むとクラスメイトもなんだか勉強ができそうな人ばっかりになってきた。でもどっか飲みに行こうというと真っ先について行ったりしてた。

ここで300ぐらい英語の構文を覚える努力をしたと書いたけど、実は僕はこれが最初で最後の英語の勉強だった。津田はいってたけど英語に触れるチャンスと遊びに連れて行ってもらえるからだった。はっきり言って津田には申し訳ないが何を勉強したという記憶はあんまりない。やっぱり英会話学校は自分の殻から抜け出して英語を話す練習をするところだと思う。だから英会話学校で英語学校じゃないと思う。

結局300そこそこの構文のおかげで基礎から入ったにもかかわらず落第は一回きりで上級の一番上まで2年ぐらいで進級した。卒業はなかったので上級クラスに2年ぐらい通って週一回英語が話せる環境を保った。

津田に3年通ったからペラペラになったのだろうか?その頃は実はアマチュア無線の熱もだいぶ下がってだんだん英語に引きずり込まれて行っていた。

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