カガクシャ絵日記

大学の研究室で働くってこんな感じ?

日本人と英語:どうしてこれを書くか

インターネットのブログってのは面白いもんでいろんなことが記録に残せる。特に個人的なこと。

 

数年前からなんとなく考え始めたことが一つある。「どうして日本で英語を勉強しても世界的に通用するとこまで行かないのか?」

これは以前インターネットのスカイプを使った英会話の先生というのを2年ぐらいやって特に思った。

自分にもそれなりに意見があるしそれをこのブログというメディウムを使って一つ一つ暇を見つけて形にしていきたいと思う。別に金が一銭もかかっていないから人が読もうがそんなことも関係ない。

ただ単に自分がある程度考えをまとめておきたいから。ただそんな気持ちで作り上げていきたいと思う。そしてその過程は、ブログと言う形式で興味のある人には読んでもらえればプラスアルファーの面白みや、やる気の持続も保てるんじゃないかと思うばっかりである。

 

僕はあんまり日本人で英語をうまく話す人が周りにいない。でも例のインターネット英会話学の校経験とか今まで聞いた話とかをまとめても日本で英語を中学校から普通にやりだしてほんとうに、例えば、アメリカ人となんとなく変わらずに生活していける様になる人っていうのは限られていると思う。昔読んだ本だと1万人に一人ぐらいと書いてあったけどあながち嘘でもないと思う。

 

さて自分はどれ位英語がわかるのかということを聞かれると困ったもんでそれは聞いた人の見かたによるしかない。

自分では普通にわかると思う。別に証明する数字も資格もない。強いて言えばアメリカの社会じゃ一応知識人の枠に入っている。

それでもRとかLが混ざったり、簡単な単語のスペルがわからなかったりとかはある。文法ではどうしても冠詞が甘くなる。そういうところをついてネイティヴとちがうといわれればそれはそうだ。でも反対に、ものによっては大学(院)生の書いたものを直してやったりする総合力はある。

 

話はちょっと先に進んで、僕の推測だと日本で普通に生活を初めて中学行って英語を習って何(十)年後に国際社会で英語圏の人達と普通に戦っていける人たちはそこまで来る間にその人の人生になにかがあったと思う。

 

ダーウィンの進化論というのはいわゆる変異が不規則に起こってその中でその変異がたまたまその状況で他のものに比べて生き残るのに有効だったためにその変異が形質として残されて、いわゆる一歩進化した形になる。その奥には生き残るというドライビングフォースがある。

まあ自分が生物学関係にどっぷりつかっているから英語の学習者も実はダーウィンの進化論のように考えてしまう。

英語学習者には英語ができるようになりたいというドライビングフォースがある。その途中で人生に色々なことが起きる。いろんなことをやって勉強してみる。そんな中にたまたまある状況や勉強方法でぐんと伸びることがある。こういうことが何回もある。知らないうちに周りにいる人たちが英語を共通語とする世界の人になっている。

ランダムに起きる人生や学習のきっかけは殆ど予期できない人生のチャンスみたいなことが重なった結果だともう。これは英語に限らず他のことでもほとんどそんな「チャンス」や「何か」が人をあるところに連れて行ってそこで生活している。

特定の個人の中で起きる変化は進化とは言い難いけれど、たまたまそういうところにいる先輩は後輩を助けてあげたらいいと思う。

僕はそういう意味でこれを書こうと思っている。自分のことを振り返ってみてこうしたから英語が使えるようになったんじゃないか。ということをチャンスであったかもしれないことも、その中で起きたことで何が大事なんだろうかを考えることで若い人たちの役に立てればそれはそれで僕としても嬉しい。

 

それからこれは一人の力ではできないこと。日本の英語教育は良くない。これは絶対英語ができるようになる方法じゃない。どうしてかということを意見として書き残しておきたい。

 

それではどうすれば今後の日本での英語教育にいいのかは一概には言えないけれどもある程度は誰でも予想がついている。言語の種を植え付けるのは日本語が喋れる頃にやればいい。そんなことに関してもちょっと考えてみたいと思う。この辺は専門外のことだから憶測とただ聞いた話で書くと思う。

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