カガクシャ絵日記

大学の研究室で働くってこんな感じ?

日本人と英語15:skype英会話の先生の経験2 (実践主義が英会話の要)

その喫茶店みたいな名前のスカイプ英会話学校サイトの先生にはいろんな人がいたけど日本人を含めて海外から先生をしている人たちはほとんどが同じことを言っていた。

それは、「なんでもいいからともかく英語で話しなさい」、「間違いてもいいから」。

これができる人は英会話ができるようになる。そうしてそうやって生き残ってきた日本人が外国で英語を使って生活して英会話の先生になってる。だからそういう人たちの言ってることは聞いたほうがいいかもね。

 

英会話ができるようになりたかったらなんでもいいから英語で話せばいいんだよ。書くのも何でもいいから書けばいい。

 

それが日本にいると、「間違ってることを話しても書いても直してもらわなきゃちゃんとした英語ができるようにならない。だからただただ喋ったり書いたりしたって時間が無駄になるどころか変な癖がつく。」ってな考えが出るらしい。

 

実はそんな考えのほうが時間の無駄。

そしてこれを言ってしまったら怒られるけどほとんどの場合考えなきゃしゃべれない人の英語は聞く方にとってはハナからちゃんとした英語を期待してない。間違いばっかいの変な英語を予期している。

誰もプールで10mやと泳げるような人にオリンピックの選手の泳ぎは期待しない。10mも良いで水が耳に入って鼻から入って涙流しながらゴホゴホやってる。でもそんなことが気にならないでバチャバチャやってる人だけが泳げるようになる。

 

それからもう一つは間違いから習うことは絶対忘れないし、自分の使ってる言い方が他の人が使ったりすると余計に気になる。こういうことは単語カードに書かなくってもどんどん覚えて身につく。いわゆる雪だるま式っていうやつ。

 

誰も話す相手がいなかったら独り言を言えばいい。車の運転中とか目に入るもの頭に浮かぶことを全部英語で言うとか。1日でしたことを英語で書くとか。

今はSNSの時代だからツイッターを英語で書くっていうのはいいと思う。知らない人のツイッターも追えるんだから英語を喋る人のツイーッターを追うとか。これは読むだけだけど、こういう人の英語の使い方を真似てみる。

 

結局英語は真似っこだからね。自分で使ってると人の使い方がきになるしそうなればこっちのもんだよ。

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最近あった全然笑えないおかしなとっても悲しい話。

このあいだの話だけど、うちの研究室に2年生になる大学院生がいる。もうかれこれ1年ぐらいうちの研究室で働いてる。彼は中国人の学生で髪の毛がなんだか長くなってきた。それで2、3週間前からゴムで縛ってちょんまげみたいにしてる時がある。

初めて髪の毛をしばってきた日にうちの60過ぎの教授の先生が研究室に入ってきて他の白人の大学院生に「誰だ?あそこで実験してるやつは?」って小声で聞いたらしい。

また3ヶ月前の話だけどその同じ中国の学生がうちの教授と話してるときに全然その学生のプロジェクトじゃない話を延々としていた。なんでだろうとその学生が聞いてみたら、実は、教授は他の韓国系アメリカ人の学生とその中国の学生を間違えて話していたらしい。

アメリカでアジア系でいることは地域によってはこれほど大変なんですよ。差別はおろか存在の認識さえない。

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日本人と英語14:skype英会話の先生の経験1

2014年の春ごろから2年ぐらい喫茶店みたいな名前のインターネットを使った通信教育で金儲けしてる会社の英会話の先生みたいなことをしてた経験を中心に英語産業の裏から見た感想を書こうと思う。

25年以上アメリカに暮らして学位もあるしそれなり普通にアメリカ人として過ごしているからということで先生にしてくれた。その会社は日本人がつくった会社で経営についてもいろいろ文句はあったけどそれはここでは触れないで自分が感じた日本で勉強している人と僕との考え方の違いについてかく。それからそこで出会った面白い人について後で書こう。

2年間で延べ60人以上200以上のセッションをした。数は少ないと思う。でもそれなりになんかを言えるべき数にはなってるんじゃないかと思う。

 

僕はもともと英語の先生じゃなかったから、自分の今までの経験をもとにどうやったら通じる英語ができるようになるかに重点を置いてた。それは僕自身が日本語と英語の考え方の違いを把握して、しかもどうしないと通じないかという事を身をもって体験してきているからそこは強いと思っていた。

始めてみると結局僕のセッションをとったレベルの人たちはいわゆる英検1級を持ってるとか受験を狙ってるみたいな人たちだった。そしてそのレベルの人たちの英語は通じにくかった。英語の文としては正しいかもしれないけで文と文をつなげればつなげるほど何を言いたいのかわからなくなる。作文みたいなものになるとほとんど訳がわからない。

実はわかるんだけど、というのは自分が日本語の目を持ってかかれた英語を読めばわかる。でも英語しかわからない自分という仮定では正しい英語が書いてあるのはわかるんだけど何を言いたいのかがわからない。

つまり書かれている英語が日本語をただ英語に置換しただけに過ぎなくって英語を話す人たちの考え方じゃない。わかりやすい例だと、日本にいる「外人タレント」とかが面白いのは日本語がそれなりに話せるのにああいう人が言ってることはまるっきり日本人の視点でものを見てない。だからそのギャップが面白くてTVに出れる。

 

これは説明しても全然わかってもらえなかった。しまいには「私は英検1級なんだから!」みたいな風になったりして。

中には僕の言ってることがわかってついてきてくれる人もいた。一人あんまり英語はできないんだけどスジが通る話し方ができる人がいた。その頃はトピックを選んでその発表をしてもらってそれについて細かく僕が質問するという勉強法をやっていたけどちゃんと説明できる話し方をしていた。英語の単語数とかじゃなくって「考え方」ができている人だった。ああいう人は喋れば全部通じる。

 

反対に通じないのは英語が得意な人が多いと思った。何を言いたいのかさておいて英語が一人歩きしてる。あれ?と思って振り返ってみても足跡はあっても行きたい方向がはっきりしないで綺麗な正しい足跡ばっかりが残ってる。

 

日本語の考え方と英語の考え方は全然違うという事をあんまり知ってる人が少なすぎる。そこを日本にいる人たちにわかってもらおうとしたけど失敗に終わった。僕が間違ってるとは全然思わないけど日本にいる英語教育者と英語を自分のものにしたいと思う人たちを食い物にしている英語産業の既に犯した罪には到底かなわなかった。一人でいくら言っても誰も聞いてくれない。

 

日本語と英語の違いを教えてあげよう。

日本人はまずはクローンだ。自分もその一人だけど。日本人は全員が同じ感情と同じ考え方を持っていることが正しいという社会だ。だから俳句とか言ってほんのちょっとの言葉を使っても俳句を書いた人みたものが見えて感じたことが感じられる。同じ感じ方を持っているから。普段の会話で求めていることはいつも同意。だからアメリカ人が日本人の真似をする時「はいはいそうそう」とやる。これも結局自分と考えが同じことを前提として相手に同意を促す会話をするのが普通とされてる。「どうして?」とか、「違うんじゃない?」とか絶対にいってはいけないと教わる。

ところが英語、特にアメリカ、は会話などはほとんどの場合相手が自分と全然違う考え方を持つという前提でコミュニケーションをする。だからなんでもいちいち詳しく丁寧に説明する。相手がわかるまで。反対されたら反対の意見を聞いてそれに対する説明を一つ一つする。そうやってお互い理解しあうことがコミュニケーションの目的という考え方がある。

「日本=みんな同じ」に対して「英語(アメリカ)=みんな違う」というふうになる。

じゃそのためにはどういう訓練をするか?というのを僕はその頃やっていた。

一番簡単で難しいのは何か言ったことに対して根掘り葉掘りの質問に答える、答えられるようなことを言う。こういうことができれば英検が2級でも英検が1級の人より実は通じる。そこをわかってほしかったけどわかってくれていた人は多分2人ぐらいしかいなかったと思う。

でも一番の敵は日本にある資格試験だった。日本で英語の勉強をしている人たちは通じなくっても資格試験で点が取れればいい。資格試験に受かれば英語が通じるようになるという考え。というか点が取れなければ英語の勉強をする意味がないという事実があまりにも大きなハードルとなって僕はギブアップした。そして思った。日本でいくら勉強しても日本の英語産業に食い物にされるだけだしそれに関しては太平洋戦争の後全然進歩してないなって。

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日本人と英語13:英語との付き合いでラッキーだったこと。

英語と初期に結構うまくやっていけたのは自分の性格をよく考えてそれで英語と付き合っていたからだと思う。

そのうちで一番大切だったことは自分は勉強ができないということを早いうちから自覚していた。「強いて勉める」ことが大嫌いで出来ないし絶対長続きしない。

その代わりに自分の中に燃えるものがあるときはそれだけに集中していればある程度はできる。その他あと5分しかないぞーとかになると火事場の馬鹿力で頑張る。

自分のものにしようとしたらなんでも長期戦だ。急に燃えてもすぐ燃え尽きるし「あと5分」じゃなんともならない。

だからなんとか心の底に燃えるものを持ち続けられる環境に自分を置くようにしてた、というか結果的にそうなってた。

例えば津田では授業の後に遊びに連れて行ってくれるから頑張って通ってたとか。英語の本を電車で読むとかっこよく見えるだろうなという妄想で自己満足したり。そういう全然英語と関係ないところでボソボソ燃えてたわけ。

だからいつも英語は二の次三の次。わざとそうしてた。前にも書いたけどわかんないことはそのまんまか分かったふりで誤魔化してた。辞書は持ってたけどほとんど引かなかった。いつかわかるようになるだろうと本気で信じてた。

 

それから自分で勝手に決め込んだ「本物」を追いかけた。

日本語で説明してある英語の教科書は本物じゃないとか勝手に決め込んだ。「こういう時にはこういう風に言うんだ。」という考え方も偽物と思った。どうしてかというとそのパターンにはまることは実際に絶対と言っていいほどありえない。そんな時に決まった答え方っていうのは絶対に場に合わないと勝手に決めてかかってた。

英語とは違うけど子供の時はファッションにも興味があった。アメリカのTVドラマを沢山見てたけど主人公の服の着方は主人公だからモデルさんみたいに誰かが考えて着せられてるんだろうなと思った。これは偽物だと勝手に決め込んだ。それでエキストラの人たちの服の着方が本物だと思ってそれを一生懸命見て真似したりしてた。

英語に興味があったけど英語のために英語をやるのは本当じゃないと思ってた。英語は言葉だからそれを使って何かするのが英語の存在する本当の目的だと思ってた。アメリカに行ってみたかったけど当時流行ってた「短期語学留学」は偽物っぽく感じた。アメリカに行くんなら正規の大学に通って英語を使って正規の授業でちゃんと単位を取るのが本物と思ってた。

そのくせなんでも「適当」でやってた。

僕は時々絵を描くんだけどペン画とか絶対にできない。いつも油絵で適当に色を置いていってその上からまた何回も塗り替えたり例えば描いてる木の位置を後からずらしたりとかそういうことしかできない。線を一回描いてそれが一発で決まるっていうのは性格に合わない。なんとなく感じたことを積み上げていく、途中で修正する。それで自分の気持ちのこもったものを作り上げる。

英語だって最後に自分の言いたいことがちゃんと伝わればそれでいい。何かいいだしてそれをだんだん形にしていく。自分で話しながら考えてる。言いたいことは最初に思っても口から出る言葉は喋りながら作り出す。聞くのも聞こえた後に頭の中に相手の言いたいこと、TVやラジオで言ってることの意味が残ればいい。そういうことが大切だと勝手に決めてた。

アメリカに住んでからはラッキーだったと思えたことは何もない。毎日が戦場で英語は死なないための道具の一つとなった。荒稽古と貧乏で鍛えられた、反則技もなんのその。でもそれがある意味ラッキーだったのかもしれない。

結局一番ラッキーだったのは「勉強」が嫌いだったことかもしれない。そのおかげで分かることだけ気にしてわからないことは無視しておくことができてた。それはちょうど出来たからあめだまもらって喜ぶのとできないから横っ面ひっぱたかれて泣きべそするのと同じで、あめだまの方が誰でも嬉しいしやる気が出る。反対に毎日横っ面ひっぱたかれてたら誰だって嫌になるしな。

これで2から12までの要約にします。

この後この延長で、スカイプ英会話の先生の経験とかそこで感じたことを書きます。

 

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日本人と英語12:日本に住む日本人の大人は日本語を勉強するか?

さて、日本人で日本の大学を出て仕事に就いてる人は日本語の語彙数が増えるだろうか? 言葉遣い、言い回し、時代に反映する新しい言葉。こういうものは増えると思う。それは日本語の社会で仕事をして人と付き合ったり、新しい趣味を始めたり。また会社で手紙の書き方、親戚付き合い、季節の挨拶などおとなになればそれなりに責任があるしそれなりの日本語を使わなければならい。外人が片言で使う日本語のようでは社会の一員として受け入れられない。

英語もそうで、アメリカ人となってアメリカの社会の一部となって暮らすにはそれなりの英語力がいる。それがアメリカの高等教育を受けた普通にアメリカで生まれ育った人たちのレベルじゃないと一人の男(女でも)として成り立たない。

でもそれは最初に書いたように日本でだんだん大人になって日本語がしっかりしてくるように社会で生きていくうちに出くわす色々な「試練」のうちに身についていくし、それが自然なことだと思う。

もともと僕の英語の勉強としては例の300ぐらいの構文を高校の頃無理やり覚えた時点で終わっていたけど、帰米してからは意識してアメリカの社会のことについて敏感になるようにした。

アメリカはいろんな人が住んでるからこれがアメリカだっていうものは難しいけどないわけじゃない。やっぱりここに生まれてここで育った人たちが国民の主流だからそれなりの共通項はある。何においても分布図を書けば日本のそれと比べてベルカーブの裾野が広いかもしれない。だからと言ってカーブの端っこんいたんじゃちょっとやりにくい。一通りいろいろ知らないといけないと思った。そのためにはTVが一番良いと思う。今はインターネットがあるからそれでもいいけどTVはついてるだけでドンドン情報が入るから楽。

くだらないことほどいい時もある。

例えば、TVといえばコメディーをよく観た。アメリカのコメディーはおかしなところで後ろに笑い声が入る。最初の頃はどこがおかしいのかわからないけど悔しいからTVが笑ってるとこで一緒になって笑ってた。大体コメディーのおかしいのは、普通ならこう反応するだろうというのに意表をついた違うことをしたりするからおかしい。だからアメリカ人がどういう風に「普通に」反応するかがわかってないとどうしておかしいのかわからない。そこが違う文化圏から来た人の辛いところ。まあできたら笑える程度じゃなくて自分でおかしなことを言って周りの人たちを笑わせられるぐらいに成れば外国語の訛りがあったりしても普通に仲間に入れてくれる場合が多い。

 

最近は自分の英語の欠点も気がついてるけど面倒臭いからあるものでごまかしてる。そんなに悪いことじゃないとも思う。日本にいる人だって、いつもあの漢字が書けないとかどうも手紙の挨拶が苦手とかあると思う。だからってダメってなことじゃないしいつかはよくなるだろうと思ってほっといているんじゃないかしら。日本語も英語もそれでいいと思う。

 

一応これで自分と英語の関係の歴史を終わります。でも一つ勘違いしないで欲しいのは僕は自分で感じるほど毎年英語ができるようになってると思う。それは英語の単語数とか言い回しとかの数じゃなくって、生活の中で英語を使ってコミュニケーションをする全体的な力、例えば人との話し方や話せるトピックスなども含めて、が向上してると思うしその努力はしてる。それは仕事でも仕事以外でも社会で生きていくための自分の生活の基礎になるからです。

 

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日本人と英語11: I am a proud American!

独立記念日はアメリカのイギリスからの独立を記念する日です。ハイ。

 

大学院も長いしてそろそろ終わりになるころいろんなことが一度に起きた。グリーンカードの更新、卒業、離婚騒動。

まあそれで色々考えた、当時僕は日本の社会とは音信不通になって10年ぐらい経ってた。日本の総理大臣の名前も知らなかったしバブルがはじけたとは聞いたことがあったけどなんのことだかちっともわからなかった。平成何年かなんてのは計算しようにもいつが平成元年かわからないレベルだった。

それで色々調べてるうちにグリーンカードの更新と市民権取得の試験の値段とあんまり変わらない、しかもあと何ヶ月かで市民権取得の試験の値段が5倍ぐらいになるということ。確か$200ぐらいとかだったけど個人的には当時$200というのは目玉が飛び出るほどの金額だった。

こりゃこのまんまアメリカ人になりなさいという神のお告げとしか言いようがないとしか思えなかった。というか今グリーンカードの更新して後で市民権の試験を受けるのは馬鹿らしい、更新代と$200かかるじゃないか!

 

まあ、晴れてアメリカ人になったにはいいがゆっくりやってた大学院も終わって離婚もしたので、どっちかと言うと裸でアメリカの容赦ない社会にぽいっと放り出されたような感じだった。

 

独立記念日だしちょっと真面目な話もしよう。

アメリカ人になるには2つ方法がある。一つはアメリカに生まれることともう一つは試験に通ったりして法廷で宣誓いをしてアメリカ人になる。そんなわけで法廷に背広着て行った。その時に裁判官が演説したことが面白かった。

アメリカ合衆国ジョージワシントンとか建国に携わる人たちがみんなで自由な民主主義国家を作ろうとして作った国です。それをもとに憲法を作って、法律を作って国が運営されている(奴隷とかネイティヴアメリカンのことはちょっと置いといて)人間が考え上げた、これがいいんじゃないかという自由と民主主義が本当に国としてなり立つかある意味人類の大きな実験をしているんです。そんな国の国民にみんなはなったんです。ってな話だった。

自分は実験科学者だから意味がよくわかった。ワクワクした。

 

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日本人と英語10:大学院生の頃の英語の苦労

日本の大学を卒業して間もなく配偶者ビザでアメリカに移り住んだ。英語力は前にも書いたとおりうわべだけはなんとかアメリカで生きていくぐらいんにはなってた。

大学院でやっていくには足りなかったと思う。

GREの受験塾みたいなのに行ったりした。TOFFLEはうけたけど勉強は全然しなかった。理系の大学院に入るぐらいはとれた。

何って大学院ほど勉強したことはなかった。入って二学期目は授業は2科目で週に3回と4回だったと思う。どっちも教科書がなくっていわゆる科学論文が参考文献。授業はそれに出てくる大事な理論みたいなことをやる。一回で2、3報の論文を読まないといけないそれが全部で週に7回クラスがあるわけだから楽に15報ぐらいこなさないといけない。それで二週間に一度ずつテストがあった。しかも時間が無駄だからとかで授業中にやらないで月曜の夜の8時から10時とかになってた。二科目だったからしまいには毎週月曜の夜はテストだった。

当時はっきり言って論文は読めなかった。気が付いたら同じ行を10分ぐらい繰り返して目で追ってるだけっていうこともあった。到底こなせぬ授業内容と到底こなせぬ授業の量で、その学期は結局2つとも落第点になった。到底歯が立たないと思った。3回目ぐらいの試験の結果どうやってもパスしないとわかった時はうちに帰って声を上げてオイオイ泣いた。悔しくて悲しくてどうしようもなかった。いくらやっても他の学生はアレヨアレヨと先に行くのにこっちは爪の間から血を流して岩を登ってるような気持ちがした。あれには参った。

結局次の年もまた履修した。今度はなんとかパスしたし授業もわかった。結構身についた。論文もだんだん読めるようになってきてた。大学院の終わりころから自分の専門じゃなくても大体どんな論文でも読んで分かるようになりだした。

一番大切だったのは「読んで理解する。」ということがどういうことかやっとわかった。それを知らなかった。普通なら小学校でここにたどりつくんだろうが僕は30過ぎてた。

それから「ただ暗記」だけの勉強法から「理解すること」に重点を置くようになった。

論文とかはパラグラフごとに読むようにした。わざと自分でここのパラグラフには何が書いてあるか問いただして自分の言葉でそれが説明できるか練習したりもした。これは小学校の国語の時間に全然できなかったことだし、その頃そういうことができてた友達はそれは勉強が楽だっただろうなと思った。

それから今まで全然細かいことを気にしないで英語を読んできたことのしっぺがえしが来たなと思った。わからないところは細かく読むこともするようにした。

論文や卒論も書いたけど教授とやりとりしている間に自分が書いた言葉が全然残ってないような論文になった。正直言って卒業した時の英語力は同じレベルの学位で卒業した人たちとは比べ物にならないぐらい低かった。

なんとか続けられたのは実験だけは人並みにできたからだと思う。

話すのは人前で自分の研究発表したりとかはできるようになってきた。

学科で他校の教授を招いて週一回ぐらいなんか講演があった。これはわかるものとわからないものがあった。一番大変だったのは居眠りしないようにすることでどうしても座って20分経つと居眠りしてた。これは今でもそうで最近は無駄な抵抗はしないで一寝入りしてからまた起きて頭をすっきりさせて途中から復活したりしてる。

それでヒアリングのことだけど移住してから3年ぐらいしてお勝手で皿洗いしてる時にテレビのニュースが流れてくるのが聞こえてわかった記憶がある。その辺からテレビも分かり始めてきた。

大学院も長くいたら居心地が良くなってのんびりしてたら追い出されてしまう形になった。ちゃんと卒業したけど、入ったのも出たのも運が良かったって言うしかない。

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